COVID-19の専門家はまだいない。

そして、この変質しはじめた社会の先になにがあるかを知っている国も、人もいない。

この事態を乗り越えた先には新しい変質した社会や価値観が待っている。その変質を、この先の世界を良いものにできるかどうかは、僕らの今のすごし方に架かっている。

経済は落ち込む。間違いない。ついこの間までのような経済的な豊かさを取り戻すには長い時間が必要だろう。
しかし、経済的な豊かさを失うことが、すなわち不幸ではないはずだ。

有名な「メキシコの漁師と金持ちの男の話」に代表されるような話を思い出してほしい。
適切に働き、資源を守り、得た報酬で家族や友人たちと楽しい時間を過ごす。そのために我々は経済に参加し、市場を構成し、役割を分担している。

個の幸福観と、資本主義経済、または消費主義的な経済構造が折り合いをつけるときが来たように感じる。

だからといって、安心してはいけない。

貧しさに美しさが宿るのは、貧しくあってなお清らかでいることが大変に難しいからだ。古来より、貧しさは人の心を荒廃させてしまう。

だからといって、心配しすぎてもいけない。

不安や不信、将来の見通しがたたないことで悩むと、人は疲弊してしまう。

ちょっと先の楽しい未来を思い描きながら、まずは家族と大切な人たち、そして自らを最大限護ること。
ウイルスとは戦わなければならないが、僕ら同士が争うことはこの戦いの勝利に寄与しない。

市場が、市場そのものの持つバランス感覚で自己調整を行うように、われわれの社会も社会というシステムの自己免疫を高め、社会自身による調整を行う時が来たように思う。

なにしろ社会システムを構成するのは僕らひとりひとりの行動なのだ。まだ見ぬリーダーによるリーダーシップや統制によるものではないはずだ。

この先の社会の先駆者はまだいない。専門家もいない。成功例がないので、何が失敗なのか誰にもわからない。

ひとしく皆がチャレンジをする時だ。

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